2008年1月12日

エドモンド・ヒラリーさん

って言ってもアメリカ初の女性大統領候補、あの旦那が大統領時代にホワイトハウスで研修かなんかできてたスタッフの女性と痛いことしちゃって終いにはスキャンダルになったんだけどずっとシラきってたほうではありません。

偉大なるニュージーランド人、人類で初のエベレスト登頂を果たした、エドモンド・ヒラリーさんが昨日お亡くなりになりました。ご冥福をお祈りします。ちなみにこちらのお札、5ドル札にこの様にヒラリーさん載ってます。唯一生きているうちからお札に肖像が使われた方です、この国では。外国のことはわかりませんが...(プラスチック製です、このお札、ちなみに)




新聞にもこの様に追悼の意を表した特別記事が組まれています

さて、その”サー”エド、”サー”はイギリス女王から戴いた称号ですね、ここニュージーランドでは親しみを込めてこう呼ばれていますが、(日本語訳だとヒラリー卿ってなってるのが多いですよね)、1953年にイギリスのエベレスト登山隊の一員としてヒマラヤに向かい、登頂アタックを試みた第一陣があと頂上まで4-500メートルというところで登頂を断念して引き返して来た次の隊として、シェルパのテンジン・ノルゲイさんと共についに世界一の頂に登りつめたのはご存知の方も多いのではないでしょうか。

最近この方が書いた本の何冊かの内の最初のやつを読んだばかりだったので、なんだか偶然を感じています。この方はエベレストに登っただけではなく、南極点に到達したり、他にも色々冒険家として活躍されていました。登山家、冒険家として第一線から退いてからは、ネパールに学校を建設したりと、慈善家として活躍もされていました。自分は行った事ありませんが、ネパールに行くとヒラリーさんの名前は広く知れ渡っていて、ネパールでもっとも有名なニュージーランド人の地位に揺るぎが無いそうです。

ヒラリーさんのエベレスト初登頂から、はや半世紀以上が経ち、時代は変わり世界中の隅々まで地図に記録され、果ては今ではコンピュター上で世界中の隅々まで地図が見れる時代にはなりましたが、この様な古き良き時代の冒険の感覚を忘れたくは無いものですね。便利なものは便利で取り入れますが、意図的な不便さ、ちょっとした不器用さみたいなものがここニュージーランド、そして人々の間には残っていて、それが僕をこの国に惹きつける物の一つなのかも知れないと、彼の死を機にふと考えた次第でありました。それではまた。

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