2017年1月21日

ニュージーランドの魅力 その2 社交性

これは決してニュージーランド礼讃、日本批判の為の記事ではありません。


今、日本に来て2ヶ月ちょっとが経ちます。
仕事の為に、のべ11週間を一つの職場で過ごす短期契約で来ています。
会社の寮に住み、他の方々と同じ屋根の下で暮らしながらの生活。

そんな中でふと『なんなんだろう、これ?』っていう思いが心の片隅にあることにいつしか気づきました。
しばらくは、それがなんなのか自分でも判りませんでした。

が、最近、ようやく言葉になりました。

それは、『自分が他人との会話をしばらく心ゆくまで楽しんでいない』ってこと。もしくは、『刺激のある会話を最近あまりしていない』ということ。

ちなみに会話をする相手ををどれだけ長く知っているかということは重要ではありません。

それがどこから来るのかということを考えた時、ニュージーランドでは常に誰かしらとワイワイガヤガヤしゃべっていたのが、日本に来てから『シーン』とした雰囲気の中で生活してるからということに気づきました。

もちろん、仕事上の周りの方々と楽しくやっています。

ただ、なんというか、あまり新しい人々との出会いというものがありません。で、本来ならそこから生まれる新たな発見、刺激みたいなものが欠乏している。

人とは面と向かって接触しているのですが、そこから『関係』が産まれない。
コミュニケーションの断絶みたいなのが透けて見えて来るんです。

それは例えば、話す時に目を合わせない。
もちろん、日本では目上の人に対して失礼であるとか、それが礼儀だからとかという考え方があるのかもしれません。
が、そうではなく、もっと根本的に、相手を拒絶しているのか、恐れているのか、自信がないのか、興味なくどうでもいいのか、ただ恥ずかしいだけなのか。それがなんなのか私にははっきりとは判りませんが、私には、一人と一人が出会って、1体1の、社会を構成する最小単位の部分で、しょっぱなから拒否、否定されている、もしくは生産的、建設的なエネルギーが生じない。


翻って、ニュージーランドですと、今まで全く会ったことのない人とでも、気軽に会話が始められ、様々な事に関して深く会話するのも珍しいことではありません。

例えば、それこそたまたま席が隣だったり、ふとしたことから会話が膨らみ、弾んで、新しい人間関係が生まれることがあります。

日本では皆礼儀正しく、規律と秩序があり、控えめで、他人のスペースを尊重し、それはそれで素晴らしいことです。

が、その反面、打ち解けやすさ、親しみやすさ、他人への包容力、寛容さみたいなものはニュージーランドではそこら中にある。

決してどちらが正しくてどちらが間違っているということを言いたいのではありません。

人には向き不向き、好き嫌い、得手不得手、性に合う合わないがあります。

今回この分野に限っては、私には、ワイワイガヤガヤ、知らない人とでもすぐに打ち解けてしまうような環境があっているし、誰とでもすぐ友達になれちゃう、それが若かろうが、じーちゃんばーちゃん、その辺のガキ関係無く仲良くなれてしまう、そんなニュージーランドが好きなんだなと再確認したまでの話ということです。


ですので、もし、ニュージーランドで誰かの家にディナーに呼ばれ、その場で皆がワインなどを飲みつつ、食事をしながら、永遠と話をしているという場面に出くわしても驚かないでください。

皆よく喋ります、私を含めて。

それではまた次回。

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